2009年2月10日火曜日

むだい

タイトルをあとでつけることにしてみた。
もっと脳というか、自分の感覚的な部分を開放して書いていく。

僕のことを理屈っぽい(そして変な)人だとおもっている友人はたくさんいると思うのだけれど、あらためて自分を観察してみると、考えちゃったことを、論理的に整理したり、伝えようとしたりするだけだってことにきづいた。

なにかひらめくっていうか、思いつくメカニズムは、論理的とはまったくほどとおくて、"わかって"しまった事を整理して、説明しようとすることしか自分にはできないことをみつける。

あ、そうそう、これ、当初書こうとおもってたことと、すでに全然ちがうのだった。

今考えていたのは、自分の表現の特徴について。
というよりも、考え方の特徴なのかもしれない。

ざっくばらんにおもったことを箇条書き
  • 文字通りに表現することに過敏になりがち
  • わかりやすくするための言葉と、考えるための言葉とをもっている
  • 概念を細かくわけがち
  • フレームをふやしていく
  • 考えることはあきらめず、理解されることはよく放棄する
  • 事実でないことを恐れる
  • 両面提示をこのむ
あまりこのましいことじゃない。

具体例が入ると良いとおもうのだけれど、ぱっとおもいつかないので、抽象的に表現してみる。

事象Aのおきる確率が99.9%、事象Bのおきる確率が0.1%だった場合に、これを常に事象Aと表現するひともいるとおもうが(たとえばここで「いるが」、とかけないこととか)、ぼくの場合は大抵はAで、ごくまれにB、となる。さらに「Bになることはないんですか?」って聞かれた場合だと、「ほとんどないよ」ってこたえることもできるのに、つい、「あるよ」っていう表現になったり。あ、具体的かなこれ。

つれづれだから、いいってことにして、話を飛躍させると、
広告的な表現をさける傾向があって、より詳細な表現をこのむ。
印象で理解されることがなんだか嫌なんだとおもう。
一方でそうじゃないと伝えるコスト、受けとるコストが高い、ともおもってる。

また投稿してみることにする。
明日はわかりやすいことをめざして過去のエントリーを書きなおそっと。

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