もっと脳というか、自分の感覚的な部分を開放して書いていく。
僕のことを理屈っぽい(そして変な)人だとおもっている友人はたくさんいると思うのだけれど、あらためて自分を観察してみると、考えちゃったことを、論理的に整理したり、伝えようとしたりするだけだってことにきづいた。
なにかひらめくっていうか、思いつくメカニズムは、論理的とはまったくほどとおくて、"わかって"しまった事を整理して、説明しようとすることしか自分にはできないことをみつける。
あ、そうそう、これ、当初書こうとおもってたことと、すでに全然ちがうのだった。
今考えていたのは、自分の表現の特徴について。
というよりも、考え方の特徴なのかもしれない。
ざっくばらんにおもったことを箇条書き
- 文字通りに表現することに過敏になりがち
- わかりやすくするための言葉と、考えるための言葉とをもっている
- 概念を細かくわけがち
- フレームをふやしていく
- 考えることはあきらめず、理解されることはよく放棄する
- 事実でないことを恐れる
- 両面提示をこのむ
あまりこのましいことじゃない。
具体例が入ると良いとおもうのだけれど、ぱっとおもいつかないので、抽象的に表現してみる。
事象Aのおきる確率が99.9%、事象Bのおきる確率が0.1%だった場合に、これを常に事象Aと表現するひともいるとおもうが(たとえばここで「いるが」、とかけないこととか)、ぼくの場合は大抵はAで、ごくまれにB、となる。さらに「Bになることはないんですか?」って聞かれた場合だと、「ほとんどないよ」ってこたえることもできるのに、つい、「あるよ」っていう表現になったり。あ、具体的かなこれ。
つれづれだから、いいってことにして、話を飛躍させると、
広告的な表現をさける傾向があって、より詳細な表現をこのむ。
印象で理解されることがなんだか嫌なんだとおもう。
一方でそうじゃないと伝えるコスト、受けとるコストが高い、ともおもってる。
また投稿してみることにする。
明日はわかりやすいことをめざして過去のエントリーを書きなおそっと。
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